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オンラインRPGのグランブルーファンタジーの騎空団「雪月花」のブログ兼、今はサービス停止されたMMORPGトリックスターのギルド「剣風雪月花」のギルドブログでもあります。 お便りはこちらにおねがいします。yukigeshikits@gmail.com



自分の記憶に従ってみれば、このゲームをはじめてインストールしてプレイしたのが2005年の晩秋、クリスマスイベントのしばし前だったので、気がつくと4年間以上もプレイしていることになります。
その間にいろんなことがありましたが、気がつくとあっという間だったような気もします。



4年も同じゲームを続けるなど想像もしておりませんでしたし、プレイし始めた当初のこのゲームへの評価は決して高くはありませんでした。

このゲームが面白いな、とはじめて思ったのはそこにいる人とのコミュニケーションがあればこそでした。
きっかけは普通の狩りパーティで、たまたま会話が弾んで、狩が終わった後も延々話しをしていた、というごくありふれた内容です。
しかし、当時の自分は、キャラクター越しに存在するその人が一体どんな存在としてここにいて、そこから表示される文字列の集合に対していかなる返答を弾き出すのが良いか、ということをとても楽しみつつも色んな可能性を模索しながらタイプしておりました。
会話の中で得られた情報から、相手のその人の存在を自分の中で形成しつつも、同じように自分も見られているかもしれないと思うと自分の表現が相手にどのように映っているのか、とても気になり、でもオンラインで姿が見えないからこそ、できるだけ誠実であろうとした上で好意的に評価されるのが自分にとってもベストだと考えながら言葉のキャッチボールを続けるのはとてもスリリングながら、有意義であったと実感しました。
そういった諸々を含めて、このトリックスターというゲームは面白いな、と思ったのです。
個人的に、面白いと思える要素はほかにもいろいろありますが、面白さの始原ともいうべき要素はおおむねコミュニケーションという部分に集約されているのです。
ゲームそれ自体はすべてプログラムによって規定の動きしかしませんが、オンラインゲームの場合は、相手は人間です。
ゲーム上で表現されることは、ゲームを通じてではありますが、そこに人のありようが映し出され、相手に何かを伝えるのも同じ人間である自分なのです。

出身や性別や年齢、職業に直接囚われないところで、その人自身のありようがトリックスターというゲームに表出されるのです。
個々人そのもの形成については、上記の要因によって形作られるところは非常に大きいとも思いますが、しかしながらそれらから自由なところで、自分自身でありながら他者と触れ合いたいという感情もごく自然であると考えますし、それを満たしうるコミュニケーションツールである、とも言えるでしょう。
それらが秘匿されるされないに関わらず、自分自身を表出することは可能ですし、それは日常の中で実践されるべきことです。個人的な経験の中で、それはともすると、このゲームを通して知ったその人自身という像をその人に当てはめていたのかもしれませんが、そうした前提が取り払われた後で、なおかつその人の社会的、受肉的存在に触れた後でも以前の関係性、自分の視点が変わり得なかったのは、非常に僥倖なことだと思うのです。

かたや、ゲーム内で作られた自分自身という別の自分の像に、自身が過度に囚われる、という皮肉な状況も発生しえるでしょう。
4年間も続けてきたわけですから、時間に換算すれば膨大なわけですから、このゲームの中にいる自分、というものが惰性的に出来上がっているのではない、という危惧があります。
とりわけ、ギルドのマスターなどをやっていると、どうにも時々これの肩書きが自分の考えの前面に出てきてしまって、自分の考えを良かれ悪しかれ制限しているのではないかと思うときがあります。
一緒にやってくれる人が相応にいてくれるので、振り返るたびにだからこそ続け甲斐もあるし、楽しいのだと、と思うことができるのです。
自分の中で作った枠に苦しむことなく、原初的に楽しく、互いに敬意をおのずと払えるよう、ひとりひとりが活動できる場を形作ることを提示するのが、マスターの務めだと思っておりますし、そうして皆が楽しんでくれるのが、自分の一番の喜びでもあるのです。(ある意味、どれだけ欲張りであり横着できることか!)


いつ辞めようか、ということは、多くの人が考えていることでしょうし、自分にもその考えはあります。
条件としては、自分という存在が誰も必要としなくなることか、自分がこのゲームに完全に価値を見出せなくなるか、原理的にゲームの継続が不可能になるか、ゲームのサービスが完全に終了してしまうか、のいずれかです。
最後はどうしようもないですけど、三番目についてはできるだけ実生活で対処するしかないです。
一番目と二番目については、いくらでも回避のしようがあります。楽しみはただ与えられるものではなく、自分で模索し、他者との協調に努めれば絶望的にはなりえないからです。
ゲームシステムは有限ですし、人間も有限ですが、後者を使い果たすにはゲームはあまりにも足りません。人がそこに在るというだけで、いくらでも楽しさは掘り起こせるものと考えております。
ゲームに絶望するのは比較的簡単ですし、逆にそうまでする価値があるのかといわれれば、無いという人も当然多いでしょう。
世の中には色んな価値が存在し、その意義について色んな評価が出回っておりますが、基本的には自分の好きなことをやる、ということにこそ一番の意味があると考えます。
ともすれば「自分にとって意味があることをやることこそ意味がある」ともいうべき同語反復的な内容ですが、意味は外部にあるのではなく、主体的な認識の中にしか存在しません。「想定される他者という視点の意味こそが、自分の意味になる」というのもまた事実ですが、そういった副次的な価値観を先に据えるよりも、自分の感性に従った価値を重んじた方が、より幸福であると思うのです。
極端ですが、自分でそう思えないのに他人に幸せだと言われるより、他者がどんなに不幸だと決め付けても胸を張って自分が幸せだと思えるほうが、それこそ幸せだと思うのです。

ただし、実存する他者や社会的価値観を一方的をないがしろにしていい、という訳ではありません。自分自身と同じように、他者もまた存在しておりますし、また他者の存在が自分の存在を担保しているからです。
だからこそ、コミュニケーションという形で相互に尊重する、ということが大事なのでしょう。なんともありふれた結論です。「己を愛するごとく、汝の隣人を愛せよ。」というだけの話です。もっと実生活に沿った部分で言えば、「空腹では隣人は愛せない。」ということで、生活そのものを犠牲にすべきではなく、それを維持することを怠るべきではないということでしょう。その上で楽しむべきですし、楽しむためにもそうすべきです。

というわけで、いくらでもまだまだ反省点はありますけれど、誰かと楽しんだり苦しんだりしながらトリックスターをプレイし続ける所存です。
 

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