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オンラインRPGのグランブルーファンタジーの騎空団「雪月花」のブログ兼、今はサービス停止されたMMORPGトリックスターのギルド「剣風雪月花」のギルドブログでもあります。 お便りはこちらにおねがいします。yukigeshikits@gmail.com
衣食足りて礼節を知る

生きていて最大の関心事は、通常は自分自身の生命の安全です。
これが保証されてはじめて、概念としての理念に関心が持てるようになります。
他人に礼節を期待するには、まず衣食住などの生命の安全を保証してからにすべき、ということともとれます。

翻って現代日本を鑑みるに、衣食住は世界的にみて保証されているほうではあると思いますし、個人差はあるものの礼節も知っているほうだと思うのですが、礼節を知らないというようにしばし喧伝もされます。

安全については、汚染物質、事故、国際関係、糧としての仕事の危機、犯罪、病、自然災害などはまだまだ危険として認識されています。昔に比べれば、相対的にはずっと安全になっているはずですが、自分のみにいつ降りかかってくるかはわかりようがありません。

衣食足りる、という「足りる」という線引きをするのは、主観の判断に依存しています。
この言葉自体は、その「足りる」というのを衣と食に基準を置いています。
しかし一方で、上記の安全を脅かす要素を排除することが求められています。
もし仮に、上記の要素が満たされたとしても屹度また別の要素が危機として浮上してくることでしょう。
(悩みがより高尚になった、というように取れなくもないですけれど)

どこか足りないものがある中でも、自身というものをわきまえた上で礼節を持つことをはじめるべきなのでしょう。大事なのは、何か物を持っているかどうか、という以上に自分自身がその生き方に価値を認めることができるかどうかのほうが遥かに比重として大きいからです。(それを満たすための方法の一つとして物への欲求があるのだと捉えるほうが論理的には自然です。客体的な物質的存在の認識はまず主観ありきだからです。)

一方で、この言葉を述べた菅子はそうした主観が成り立つのも、まずは命あって衣食足りてこそだ、ということを主張しているのかもしれません。

ただ生きているだけでは理念はなく、しかし理念なくして人らしいと言えない。なんともバランスの難しい話ですね。しかし、私は現代はもっと礼節を知っていい段階だと思います。
物の情報に溢れている今は、理念がないとそれらの欲と不安の波にたやすく流されてしまうと考えます。

そういうのはまったく別にしても、ぼろきれ一枚しか纏わないような状況になったとしても、気高く自分自身として生きてみたいものですね。時々我欲から少し距離を取れる気持ちになると、自分の浅ましさが非常に呪わしく思えてなりません。そもそもそういう気持ちになること自体が自分の不寛容さと甘さと未熟のせいかもしれませんけれども。
そういうことができるのは、衣食がとりあえずは足りているおかげかもしれません。
私自身の到達すべきところとしてはとりあえずは足りているなら、あとのことは理念を汚すようなことがあれば、いつでもそれを捨てるくらいの潔さを身に着けておくことではないかと考えます。そういう精神の自由さこそ、無条件的に肯定しうる価値だと思えるからです。


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