オンラインRPGのグランブルーファンタジーの騎空団「雪月花」のブログ兼、今はサービス停止されたMMORPGトリックスターのギルド「剣風雪月花」のギルドブログでもあります。
お便りはこちらにおねがいします。yukigeshikits@gmail.com
ふと思い直したくなったので、書きます。
トリックスターの話とは直接の関係はまったくありません。
単なる独り言です。
ただ、トリックスターをやっていて感じるとところが多くあったので、自戒の意味を込めてあえてこのブログに書いてみたいと思ったのです。
念のための補足:トリックスターのほうは、自分も皆さんも楽しんでいけるように、というスタンスは今も昔のままです。こういう文章を書くと、周囲を不安にさせることもあるらしいのでそのむね書いておきます。
今読み返してみましたが、具体性のない話で面白みがありません。
もうちょっとユーモアとリアリティにあふれたドラマチックなことを書いてはみたいですね。
以下、本文です。
私は疲れています。そして気持ちに余裕が持てないことが多くなってます。
このところ、というよりいつごろからかはよくわかりません。少なくとも働き始めるようになってから少しして顕著になったと思います。
学生時代に比べれば単純に拘束時間も責任も増えたので、きっと当たり前のことなのかもしれません。
そしてそれを当たり前のことだと考えていて、自分で良くないと捉えている現状を打破しようとしないことが既に大きな膿になっていると解釈しています。
だからこそ、そのことを改めて認識できた今、現状を「なんとかしなければならない」という嫌々ながらの義務感ではなく「状況打破のための一環としてこれをやる」という意思を私は持ちます。
少なくとも今の自分は心に余裕がないせいか、仕事にも人にも自分にも短絡的で怠惰な態度をとってしまいがちになっています。
昔の自分はもう少しは対象のことを考えて行動していたと認識しており、そのときの自分がみれば、
きっと今の自分は滑稽に映るのだと思います。
今の自分は、もっと今の生活を味わって取り組むことでより意味を豊かにしたい、と今思いました。
少なくともここ最近は、何をしても楽しいとか、おいしいとか、気持ちがいいとか、そういった充足感とは距離のあるところにいました。
どんなにか素晴らしい料理も、とにかく急いで食べてしまおうという態度では、その味わいを通り過ぎて単なる物質を胃の中に詰め込んだに過ぎません。そしてそれを食べる姿は、見苦しいものでしょう。少なくとも料理を作った人はがっかりするに違いありません。
自分がやっていたのはこれだと思うのです。徒に結果を求め、急いで取り組んでいることを自分自身の言い訳にして、それ以外の肝心な中身を置き去りにしがちだったと思うのです。
それが顕著に出ていたのが人間関係だと思います。
人と人との関係は、相手と状況をよくみて、かつそれが自分自身にも納得がいく形になるようにバランスをとって、相手と協調してより良い結果を模索するものです。
どうも最近の自分は自分の答えありきか、相手の言うことを硬直的に受け止めていたように思われます。
ただでさえ完全な相互理解なぞ不可能であるのに、せめて理解をしようという志まで失ってしまうのは、とても情けの無いことです。
別に頑張らなくてもいいと思うのです。むしろ頑張ることによって、少し無理が出てきているのだと思います。
少しずつ、ゆっくりと、できることをやっていくのが今の自分には必要なことだと思ったのです。
この教訓は、自分自身に対する失望と、周囲に対してよろしくない振る舞いをしたことの反応から鑑みて得られたものだと考えています。
頑張りも、謝りもしませんけど、自分にも他者にも報いるところがあるように、ちょっとずつやれることをやります。報いようがなくなってしまった人にだけは、謝りたいです。しかしながら、取り返しがつくうちは、安易に謝るのは良くないです。それは云々かんぬん。
きりが無いのでこのへんにします。がんばりませんよ。
トリックスターの話とは直接の関係はまったくありません。
単なる独り言です。
ただ、トリックスターをやっていて感じるとところが多くあったので、自戒の意味を込めてあえてこのブログに書いてみたいと思ったのです。
念のための補足:トリックスターのほうは、自分も皆さんも楽しんでいけるように、というスタンスは今も昔のままです。こういう文章を書くと、周囲を不安にさせることもあるらしいのでそのむね書いておきます。
今読み返してみましたが、具体性のない話で面白みがありません。
もうちょっとユーモアとリアリティにあふれたドラマチックなことを書いてはみたいですね。
以下、本文です。
私は疲れています。そして気持ちに余裕が持てないことが多くなってます。
このところ、というよりいつごろからかはよくわかりません。少なくとも働き始めるようになってから少しして顕著になったと思います。
学生時代に比べれば単純に拘束時間も責任も増えたので、きっと当たり前のことなのかもしれません。
そしてそれを当たり前のことだと考えていて、自分で良くないと捉えている現状を打破しようとしないことが既に大きな膿になっていると解釈しています。
だからこそ、そのことを改めて認識できた今、現状を「なんとかしなければならない」という嫌々ながらの義務感ではなく「状況打破のための一環としてこれをやる」という意思を私は持ちます。
少なくとも今の自分は心に余裕がないせいか、仕事にも人にも自分にも短絡的で怠惰な態度をとってしまいがちになっています。
昔の自分はもう少しは対象のことを考えて行動していたと認識しており、そのときの自分がみれば、
きっと今の自分は滑稽に映るのだと思います。
今の自分は、もっと今の生活を味わって取り組むことでより意味を豊かにしたい、と今思いました。
少なくともここ最近は、何をしても楽しいとか、おいしいとか、気持ちがいいとか、そういった充足感とは距離のあるところにいました。
どんなにか素晴らしい料理も、とにかく急いで食べてしまおうという態度では、その味わいを通り過ぎて単なる物質を胃の中に詰め込んだに過ぎません。そしてそれを食べる姿は、見苦しいものでしょう。少なくとも料理を作った人はがっかりするに違いありません。
自分がやっていたのはこれだと思うのです。徒に結果を求め、急いで取り組んでいることを自分自身の言い訳にして、それ以外の肝心な中身を置き去りにしがちだったと思うのです。
それが顕著に出ていたのが人間関係だと思います。
人と人との関係は、相手と状況をよくみて、かつそれが自分自身にも納得がいく形になるようにバランスをとって、相手と協調してより良い結果を模索するものです。
どうも最近の自分は自分の答えありきか、相手の言うことを硬直的に受け止めていたように思われます。
ただでさえ完全な相互理解なぞ不可能であるのに、せめて理解をしようという志まで失ってしまうのは、とても情けの無いことです。
別に頑張らなくてもいいと思うのです。むしろ頑張ることによって、少し無理が出てきているのだと思います。
少しずつ、ゆっくりと、できることをやっていくのが今の自分には必要なことだと思ったのです。
この教訓は、自分自身に対する失望と、周囲に対してよろしくない振る舞いをしたことの反応から鑑みて得られたものだと考えています。
頑張りも、謝りもしませんけど、自分にも他者にも報いるところがあるように、ちょっとずつやれることをやります。報いようがなくなってしまった人にだけは、謝りたいです。しかしながら、取り返しがつくうちは、安易に謝るのは良くないです。それは云々かんぬん。
きりが無いのでこのへんにします。がんばりませんよ。
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